よだかの図書室

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エヴァ観たよ【ネタバレ感想】

にわかのネタバレ感想です。エヴァ追っかけてないです。漫画は読んだ。新劇は全部観た。それだけの人の感想。

 

久しぶりの映画館でした。前回行ったのは仮面ライダー平成ジェネレーションズフォーエバーだったかな?となると2年ほどになるか…。

もっと行きたいと思うんですが、お金とか時間を言い訳にしてます。出不精なだけですね。実は家が映画館近いんですよ。平日にレイトショー観れるくらい。ちゃんと行こう。

 

はい、新劇場版新世紀エヴァンゲリオン序破Q:||全部観れました。

漫画版は読んでなんとなあくストーリーはわかってたんですが、新劇凄かったですねえ。いい映画体験でした。いい映画は感想書きたくなります。

 

長々とシーンを追っていくわけにもいかないので、3つに絞って。

 

①新劇の巨人

今回の映画の率直でアホっぽい感想はコレです。

進撃でみたことあるやつだ!ってシーンがいくつかありました。地ならしとかコレとか。

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特に「道」の要素。記憶に干渉する非現実な現実の中で語り合うという親子対話の場面。ああいう状況は、物語をメタ的に俯瞰して終わりへと向かうときにピッタリです。

あの親子がちゃんと対話するのも感慨深いし、似たデザインなエヴァの13号機と初号機の戦いも超アツいし、父が優勢でありつつも「暴力では解決しない」で対話にいくのがなんともエヴァっぽい。ロボットアニメじゃないんだと強調されましたね。相変わらず哲学だ。エヴァのテーマは、言うなれば「生きる」ってことで、これは間違いなく哲学テーマなんだ。

マイナス宇宙に行かなければなし得なかった、エヴァらしい畳み方でした。

 

②親と子

クライマックスであるゲンドウとシンジの対話は、ゲンドウの父親らしさがちゃんと出てました。ユイという俺の女を奪ったシンジという男、ではなくて、忘れ形見となってしまった子供とどう接したらいいかわからない大人の男がゲンドウだった。

シンジがおんなじ親子関係を既に認めてたことがゲンドウへの赦しに繋がってますね。葛城ミサト親子のことです。

片親を亡くした子に、人類の中でも重要な立場である自分ができる精一杯の選択として、愛情以外を与えることを選んだ親。実際シンジはネルフエヴァと関わることで様々な出会いをしていますし、たぶんいいもの食ってます。ストレス過多だろうけど…。

ミサトはシンジにとっても保護者代わりで、愛情をあげられる人でした。保護者から向けられるそっけない態度の裏に愛情があることを、劇中で既に学んでいたんです。それでゲンドウのこともスッと受け入れられたんでしょう。不器用な大人で構成されたネルフとかいう厄介組織め…。

 

もう一つ親と子の話題でウワーって思ったのは、エヴァが大量にいたこと。特に電力供給専用の下半身エヴァ

エヴァンゲリオンは黒白き月で採取された神(アダムやリリス)の肉体にヒトの精神を入れ込んで、その精神とパイロットがシンクロして動かしてる、というのが僕の理解です。羊水としてのLCLやらなにやらで、要は母親を材料にしてその子供をパイロットにする兵器だと思ってます。

エヴァの量産って、エグい話なんですよ。だから綾波シリーズや式波シリーズのような、オリジナルの自分とシンクロできるクローンの方がむしろ人道的だった。

下半身エヴァや最終決戦地での11号機とかは綾波シリーズを使ってるのかなと思ってますが、それにしてもあれだけの数生贄がいると思うとなかなか愉快ですよね。

しかも冬月とゲンドウがどれだけ前から準備してたかによっては、綾波シリーズじゃない可能性もあります。その場合だと何人の親子が犠牲になったんですかね。ただビームのための発電するだけのエヴァってほんとヤベェっすよ。

 

親と子の話はエヴァ全体を貫く話題です。

式波アスカも言ってました。

「ガキに必要なのは恋人じゃなくて母親よ」

羊水へと浸りながら戦い、「私に還りなさい 産まれる前に」と呼びかける「エヴァンゲリオン」という物語。そこから卒業し、さようならと言うためには、母性から脱却して大人にならなきゃいけないんです。

だからシンジの恋人役が、ユイのクローンであるレイであってはいけないんです。

 

③マリエンド

映画見てる最中、「エッこれ最後迎えに来るのマリになるけどマリエンドなの?アスカじゃないの?」という気分で見てました。

だってアスカのカードが特典だったじゃん!母親じゃなくて恋人が必要ってのは観る前からわかってたし、レイじゃないならアスカでしょと。てかマリはお前ゲンドウやユイと近い実年齢だろ!親世代は過去を精算して終わりじゃないの!?という考えでしたが、終わってみればマリが大正解ですね。

マリ関連は色々読み直したり観直したりしたいなあと思うところですが、レイでもアスカでもない選択がされることで物語が動き、畳まれるというメタ的な流れは王道です。

 

マリについてはいくつか言われてますね。中でも「シンジとの出会いのシーンのとき、音楽プレーヤーの曲が26→27に進んでる(旧アニメエヴァンゲリオンは26話まで)」ってのは面白いですよね。

個人的には、マリはゲンドウの女版なんじゃないかと思いました。

ゲンドウはどんな人間だったかは、2つのポイントで示されています。一つは孤独な人間であったこと。もう一つはユイという人間を、人生を変えられるほど愛してしまったこと。

ゲンドウの孤独さは本とピアノ(音楽)で表されてますが、ここも観直したいポイントです。マリは本が好きでした。アスカに「また本が増えてる」と言わせたあのシーンは、ゲンドウとの類似を示しているんだと思います。

マリは意外と孤独な感性の持ち主で、限られた人にしか心を開いてないのかもしれません。なるほどたしかに、彼女はネコっぽいキャラでしたね。ネコはそういう生き物です。

ユイという人間はそういう孤独な人間特効でも持っているのか、漫画版はマリがユイに特別な感情を持っていたことを伺わせます。ゲンドウに言えないこともきっと話していたはずです。例えばシンジへの感情など。

 

ではピアノについてはどうなんでしょう。

マリが音楽好きというシーンは見られなかったと思いますが、ゲンドウがピアノ好きなのは「叩けばその通りの調律された美しい音が出るから」でした。この感覚は、ゲンドウの人類補完計画へと繋がっています。ユイに会うことが第一だったゲンドウのもう一つの(あるいは付随したあわよくばのような)目的として全てが溶け合う世界があったのは、調律調整されたものが美しいという感覚がゲンドウにあったからだと思います。

似た感覚はシンジにもあって、「変わらない」ことがシンジの幸せでした。そのために音楽を使っていたんだとQでカヲル君に言い当てられてましたね。変わらないことはゲンドウと同じ調整された静かな世界を望むということです。似たもの親子め…。

コレに対して、マリは音楽を先へ進める存在です。変化を促す存在。だからきっと、この点はゲンドウあるいはシンジとの相違なんでしょう。彼女が初出の裏コード:ビーストもそういうことじゃないかな。調律されたピアノの音より、荒々しく騒々しいビーストの咆哮が性に合う人間。未来へと進むシンジには、乱暴に手綱を導く獣なヒロインが必要だったのです。

ではマリの方から見てのシンジ君は?

まず、マリはループというか世界を渡ってそうなので、シンジへの執着については描かれていないことがキッカケなのかもしれません。とりあえず、ユイと冬月研究室への好意が先にあることは明白なのかな。

マリにとってみれば、冬月研究室の最後の忘れ形見がシンジ君です。姫と呼んでいた式波アスカもマリの娘説やらありましたし、アスカだけ冬月研究室に関わっていないのも変なのでそれに近いんじゃないかなと思っていますが、アスカは最後連れて行かれましたからね。オリジナルじゃないし。

それにゲンドウのこともそれほど嫌いではなかったよう、というか、冬月副司令までふくめて研究室のみんなが好きだったのかな。だから冬月と同じように、ゲンドウへの理解も憐憫もあったでしょう。孤独を抱えた似たもの同士ですし。ゲンドウと似ているシンジ君はマリとも似ているはずです。共感や理解し合えるところはきっと多いでしょう。

そして彼女は、カヲル君と一緒に登場してました。碇シンジに執着する存在で、なおかつ普通の存在じゃない。というかこの世界に元々いた存在じゃない。そんな2人だったんです。

そんなカヲル君は、どうも何人目かわからない。いわば綾波シリーズと同じく、シンジ君を好きになるようにプログラムされているのかもしれない存在。マリの方はたぶん体は変化しているとしても精神はオリジナル。それでいてシンジを選んでいる。しかも最後の場面まで肉体が死んではいない。そもそもカヲル、レイ、アスカは、シンジが作り直した世界に住むための肉体が無いはず。最後までついてきたのはマリだけ。

 

ゲンドウとユイがシンジへ向ける愛情も、孤独な人特有の感情も、エヴァでの戦いの記憶も、世界が繰り返しながら納得できる終わりを探していたことも、シンジが親へ向けたかったはずの感情も、全部知って受け入れられるのはマリだけなんです。

ついでに言うと、ゲンドウと同じ穴の狢であるマリを受け入れるのは、シンジの義務なんじゃないかなあとかも思います。

親子の対話や関係性を、マリを恋人にするという形でやり直していき、未来へと踏み出す。過去を精算しながら未来を生産するという終わり方。それがマリエンドです。

 

 

アスカが恋人になれなかったのは、恋をしていた時は2人ともガキだったから。結局、シンジはアスカが抱えていた過去を知らないままだったし、アスカもシンジを理解しようとはしていません。たとえ心と身体が近づく時があったとしても、それは上辺を慰め合っていただけ。シンジはアスカの頭を撫でなかった。アスカはシンジの孤独を甘えと切り捨てた。レイへの感情が母性恋慕なら、アスカとはガキの初恋です。初恋がそのまま実るなんてのは普通じゃないんですよ。

 

 

短くまとめるつもりがまーた長々と書いちゃった。いい作品でしたエヴァンゲリオン。さらば全てのエヴァンゲリオン